【よ考】
- naitouhibiki
- 2024年1月4日
- 読了時間: 3分
最近、友人からのお誘いでお店を手伝いに行っているのですが、そこには立場上、「上司」のような人がいるわけです。
自分自身がマネジメントをされる側になったことで、部下がいる人は終助詞「よ」の持つ意味を知り
「自分の発言に"よ"をよく使う人は気をつけたほうがいいよ」
という投稿です...
さて、↑この文章、ちょっとむかつきませんか?
これが、終助詞「よ」の持つ力です。
「自分の発言に"よ"をよく使う人は気をつけたほうがいい」
なら、あまりむかつかない。
なぜなら、「よ」には、
1.自分にとって既知の情報(常識)を相手に教えて「あげる」という意味
2.命令・依頼の「よ」、非難するときの「よ」
という意味があるからです。
特に1.の「よ」は話し手自身の判断や意見を強調し、聞き手に何らかの変化や行動を促そうとしており、また、多くの場合行動要請をしていない場合が多いと感じます。
例
「これ、前に教えたよ」
「ねぇ、ここまだできてないよ」
「今日、〇〇さん来るよ」
など。
この文章にはごっそり #行動要請部分がない のが、わかるでしょうか?
また、大抵の場合、人間はネガティブに物事を受け止めるようにできています。
このような形でいいさしの要請だと「何か悪いことがある」と考えてしまいます。
これが、上司(目上)の人からの言葉ならなおさら。
「これ、前に教えたよ。(なのに、なんでできてないの?)」
「ねぇ、ここまだできてないよ(仕事遅いんだね)」
「今日、〇〇さん来るよ(だから、〜をしておいて)」
幸か不幸か、日本人は「よ」で次の文脈を読み取り、行動をすることができてしまいます。
つまり、「よ」を使うとき、上司/部下の頭の中で無意識的に以下のようなプロセスを経ていることが予想されます。
上司:「なんでこんな当たり前のことができないんだろう?」
部下:「なんで言われてないこと/明文化されてないことで怒られないといけないんだ」
部下:「具体的な指示もないのになんか怒られた感じ...」
この繰り返しが起こると
上司に聞くと、毎回できて当然。という態度を取られるし、こちらに配慮をしてくれない。
→この人に聞くのはやめておこう。ストレスになる。
→暗黙知の共有ができないため、ミスが増える...
マネジメントにおいて、「よ」を使っていいことってない気がします。
実際に僕が経験したのは、
あるものの配置をいつも通りに配置する。
→「内藤くん、それ、こうだよ?」
と言って、直される。
というものでした。
客観的にみると、上司側に「こうやるのだ」という前提があり、それにそぐわない僕の配置を訂正しただけ。
しかし、僕の内心としては「教えられてもいないことを。こうやるんだよ?」と馬鹿にされた気分になったのでした。
もちろん、僕の受け取り方の問題ではあるのですが、なぜそのような気持ちになったのかを分析したところ、その方は非常に「よ」を使う頻度が多かったのです。
この視点は、元日本語教員の自分だからこそ持てる視点だと思い、思わず共有してみました。
「よ」の持つ意味は多岐にわたるので、その中の一面を紹介してみたのですが、部下がいる方はぜひご自身の語尾について意識を向けてみてはいかがでしょうか?
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